≪アーティストへの道の選択≫
高校までは、あまり挫折感も無く、大学入試で落ちたと言う事が、大変な出来事だった記憶が、未だ残っています。
その後、一浪後も、立て続けに落ちて、滑り止めで入った大学では、今後の“期待”と言うものが遠ざかった記憶も強いです。
留年も重なり、時間もあった故、卒業後の事を、ゆっくり考えていた折、我が師(津高和一教授)が、たまたま、福井県(地元)で“北美”と言う美術運動を主宰していた土岡秀太郎氏と親しく、北美の先輩・長谷光城氏(造形作家)の紹介もあり、いつしか、土岡氏の「教職の道は選んではいけない、“最初から作家を目指せ!!”」の一言で、リスクのあるスタートを切る羽目になりました。
土岡氏からは、“生き方”を、恩師からは“感性”を、もう一人の尊敬すべき斉藤義重氏からは、“知性”を学びました。