≪大学時代のささやかな挑戦≫
1年浪人してから大学生になりました。 その当時の母校は、滑り止めで入る大学生が多かったです。 その一人です。残念だったことに、“レベル”と言うものからはかなり関係のない実情でした。 それ故に大学への期待と言うものは、すっかり消え失せ、退学するか、開き直るか悩みました。
結局、余計な時間とお金を使わないために開き直って、画くことにしました。 大学では、画く雰囲気がなく、下宿で毎日画きました。 お陰で、大学には50日程しか出席せず留年です。 本当に無駄な1年でした。 留年の理由も馬鹿げたものでした。 学校にも来ず、偉そうにコンクールばかりに出しているやつを懲らしめたいと言う助手の仕業でした。 ますます興味の無いキャンバスで考えたことは、大学には期待しないことでした。 時間だけ充分にある立場(5年間)故、“自習”に専念出来たことが、今の、曲がりなりにも、アーティストとして生きて行ける要因だったと思います。
まず、行ったことは
キャンバスに描かないことでした。 絵はキャンバスに筆で描くと言う疑いの無い常識に対して、ささやかな革命です。 そこで、キャンバスを裏返しにして天井に吊って、下から筆の代りに日本ろうそくの太い炎を近つけて、色々なパフォーマンスにトライしました。6~7年試行錯誤していた様に思います。
このかなり長い試行錯誤の後も、まだ“描かない”、“色は不必要に使わない”と言う“呪文”の束縛は続き、とうとう引き算が0になってしまい、2~3年は、修行僧のような、作れない!作らない!、トンネルの時期がありました。 そして、トンネルの後に、今の“彩相(さいそう)”シリーズがあります。